仕事柄、たて続く新年会で胃をやられていたので一滴もアルコールを差さずに帰宅、
結局自宅で飲みながら本を読んだりしていて考えたことを書きます。
私、なんで死ぬキャラが好きなのかな。
最近は戦国なんとかっていう、そういうジャンルに再熱しているからすごく死に近い。
近いって言ったって、私が経験した死は死に際を見たわけでもない祖父母くらいなので、
私の思っている死は実際の重さの半分以下かもしれない。
いや、実際の軽さに比べて倍以上の重さがあるかも。物質的に。
オタクのブログだからオタクらしい書きぶりをします。
例えば私はブチャラティが好き。死んじゃうから。
たくさんの人が彼を愛していて、死なれてしまったら寂しいと想像しているのに、
彼自身は自分の人望に余るくらい自分の人生のことだけを選び取ってしまい、
彼を愛していた人々も、おそらく一介のギャングであった彼の死を、
まるで気象現象のように感じるだけで日々を生きることに没頭していくであろうところが好き。
例えば私は竹中半兵衛が好き。戦国basaraのね。死んじゃうから。
世界がうらやむような才能を持って最高の時代に生まれ出て、彼に望まれることで輝ける人の右腕となる好機を得ながらも、
彼の才能は結局彼のためだけにあって、
命の短さに焦ることで完璧に完結されていく人生を勝手に歩んでいけてしまうところが好き。
それから私は平清盛が好き。これは史実の話だよ、死んじゃうけど。
日本史の教科書の4ページ分を埋めて、その次の何ページにも禍根を残すような人だったけど、
源氏に負けたり死んでしまったりしたら一族は一挙に滅んで、
彼の名前の周りだけがあのキラキラの写経みたいに飾られているようなところが好き。
私は勝手に生きて死んでいく人が好きみたいだ。
劇的な最期を迎える人の周りは、たいてい非常ににぎやかだ。
みんな大勢の仲間や臣下に囲まれて、壮大なクラシック音楽みたいなラストを迎えるわけだ。
ジャズみたいな人は結構長生きすると思う。熊谷守一とか。
そういうにぎやかな人に、寂しさと無縁であるように見せかけられる人に、
「さようなら」を言いたいんじゃないだろうか。
「さようなら」はすごく寂しい言葉だ。
孤独であった人生に、「さようなら」で称賛と容認を贈りたい。
人望の塊であった人も、
才能にあふれていた人も、
時代を作り上げた偉人も、
孤独であったことをわかっているふりをしたいんじゃないだろうか。
勝手に生きて死んでいくだけの、
孤独を仕舞って二度と開けられない箱に戻っていく彼らに、
「さようなら」を言いたい。
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