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レオーネ・アバッキオ

 こんにちは、合同会社アバッキオ大好き広報担当パマです。
弊社はレオーネ・アバッキオの良さ・強さ・愛おしさを多くの人々に伝えるべく、
様々なメディア発信やSNS利活用、ビジネスモデルを提案するコンサル
 
もういい。
おふざけはやめだ、行くぞ。
 
 
論題「レオーネ・アバッキオの人生とは何か」
 
はじめに
 
 この論文は、レオーネ・アバッキオの人生についてより明確に認識し、今後の二次創作活動の芯となる理論を定義することを目的とする。
 人生全体を見る場合、人物の内的要因として人間性と目指す方向性に分けて評価することができる。また、創作物の登場人物を評価する場合、読者の視点と作者の意図を踏まえたキャラクター性も要素となる。そこで、Ⅰではレオーネ・アバッキオの人間性を、Ⅱでは作中でのキャラクター性を、Ⅲでは目指したものを分解し、一つのキャラクター解釈論として再構築する。
 以下において、「アバッキオ」または「彼」と称するものはレオーネ・アバッキオを指しており、便宜上そのように表現する。
 
 
Ⅰ レオーネ・アバッキオの性質
 
 人間性を分解した場合、最も表層に現れるものを性格とする。次にその下層にあって性格を形成するものを性質とする。アバッキオの人生の核心に迫るにあたり、ここでは彼の基礎を形成する性質について述べる。
 
(1)性格
 アバッキオの性格形成を担う性質は、警戒、固執、自棄である。これらの性質は「兵隊のように」という彼の信念に起因するものである。
 
警戒・・・任務の正確な遂行のために細心の注意を払う。
     任務を完遂するために想定外の影響を排除しようとする。
固執・・・与えられた任務の遂行を最優先する。
     与えられた命令が絶対のものであると確信する。
自棄・・・自分自身より任務の遂行を優先し、時には命の危険すら顧みない。
     自身の判断基準を他者に依拠する。
 
 これらが性格として表出した場合、
「予想外の行動を取る予定外の新入り(ジョルノ)に対して厳しい態度をとる(例:ズッケェロ戦)」
「仲間の救出より任務を優先する(例:イルーゾォ戦)」
「重要な決断の判断基準を他者に見出す(例:ボートに乗るか否か)」
となる。
 以上のとおり、彼の性格形成の上で「任務」の存在が大きな比重を持つことがわかる。「任務」とは任せられた責務であり、必ずしもギャングとしてのものとは限らず、人生、日常等多岐にわたる。
 
(2)過去と変化
 上述した性質を確固たるものとしている要因は彼の過去にある。組織加入以前については原作をお読みいただいたとおりであり、あえて詳細に言及はしない。
 組織加入後、つまり原作で読み取れる限りのアバッキオには下記のような性質の二面性が見て取れる。
 
「警戒」⇒「堅実」
「固執」⇒「矜持」
「自棄」⇒「覚悟」
 
 彼の行動は時として融通の利かない、無為な行動として捉えられるが、概ね一貫して彼の言動は、上述の性質を総括して、単に「任務」を最重要視するだけでない「忠誠」としての印象を抱かせる。こうした印象を用いて物語上にどのような作用をもたらしているかについては後述する。
 
 
Ⅱ 「ジョジョの奇妙な冒険第5部黄金の風」におけるレオーネ・アバッキオのキャラクター性
 
 前述した性質が、作中の登場人物としてどのように作用しているか、作中の場面を用いて考察する。
 
(1)主人公を通して見る「レオーネ・アバッキオ」
 作品として存在している限り主人公が存在し、読者はその主人公を通して人物を評価することとなる。その点においてアバッキオはわかりやすいと言える。
 
①先輩像
  主人公との関係において特に強調されているのが先輩としての姿である。先輩といえど「背中を追うべき人物」という部分はリーダーであるブチャラティが担っており、また「明るく面倒見のいい兄貴分」という印象はミスタに付与される(例:サーレー戦)。
  アバッキオにおいては年長者の指示に従うことや新入りは信用ならないと決めつけるなど、彼のしていることは要するに「先輩風を吹かす」もしくは「先輩ヅラ」であり、読者は先輩役としての彼に前者2名ほどの好印象は抱かない。
  一方、彼の言動はこの物語におけるギャングの世界を印象付ける装置として威力を発揮している。
 
 「年長者の指示に従うべき」・・・年功序列社会の存在をうかがわせる
                 主人公が簡単にはのし上がれない組織の体質が表現される
 「新入りは信用しない」・・・閉鎖的な社会であることが示される
               些細なリスクをも避けるという緊迫感を演出する
 
  これらは主に「警戒」の性質によるものであり、逆に言えば世界観に緊張感を生むために「警戒」を強く持った人物が配置されていると捉えることもできる。
 ②不器用
   主人公であるジョルノは比較的人間関係において機敏であり、人心掌握の能力とも取れる行動力を有する(例:ブチャラティ戦)。そんなジョルノを通して見たアバッキオは実に不器用に見える。
   二人の対比が最もよく表れているのがイルーゾォ戦である。 ジョルノであれば取らない行動をアバッキオが取り、アバッキオであれば取らない行動をジョルノが取る。鏡を挟んだ戦闘によりその対比がより鮮明になっていることも注目すべき点である。結果としてジョルノの判断が勝利に繋がっていくわけであるが、アバッキオの任務を最優先する行動も必ずしも無駄であったわけではない。自分の事情で手一杯になりがちなフーゴがジョルノに敬意を表するのと同時に、任務にとらわれるあまりに他者との結託において不器用さを見せるアバッキオも、ジョルノはジョルノであり、自分は自分の信念を貫きながら「任務」を全うしていく、「矜持」の在り方を確立している。ここでの「矜持」は単にプライドが高い状態を示すものではなく、自らの能力に自信をもって堂々と行動を取ることである。彼の「固執」と覚悟の一つの回答といえる。
 
(2)物語全体における「レオーネ・アバッキオ」
 より俯瞰してキャラクター性を考察するため、物語全体の中におけるアバッキオについて論じる。
 ①チームの性質を物語る
   度々表現されていることであるが、この作品におけるギャングのチームとは「仲良しクラブ」ではない。勉強を教えてもらい時々喧嘩もするナランチャとフーゴ、軽妙な立ち振舞いで時にムードメーカーともなるミスタ、信頼の権化とも言えるブチャラティ。その中で比較的重苦しい印象で存在するのがアバッキオである。彼の存在感により、彼らの所属するチームの性質がより深刻なものであることを読者は折に触れて思い出すことができる。
 ②敵の手強さを強調する
   アバッキオのスタンドであるムーディーブルースは直接的に戦闘に参加する能力ではない。しかしリプレイというその能力は終盤にボスが恐れるほどの有用な能力であることも確かだ。その有用な能力が敵との戦闘中に行き詰まることで、戦闘の複雑さや敵の手強さを演出する。
 
  ズッケェロ戦・・・ブチャラティの「お前の能力なら、アバッキオ、ああいうやつは倒せるかもしれないな」の通り、彼の能力が真価を発揮する。敵の能力の謎を解き明かすが、直接とどめを刺すことはできず、解決の糸口をブチャラティに託して倒れる。
  クラッシュ・トーキングヘッド線・・・直接攻撃を受けるナランチャに遅れて敵スタンドのリプレイを追う。この状況において相当有用な能力であることは間違いないが、クラッシュの能力に追いつくことができず、謎を深めることとなる。
   敗北が描かれるシーンは最後にもう一か所あるが、これは演出としての敗北ではないと考えられるため、ここでは論じない。
 
  ③群像の一人としてのアバッキオ
    第5部はあらゆる立場や利害関係、理想を抱いた人物が交差する群像劇である。この群像の中で彼はⅠ-(1)で述べた性質を持ったキャラクターとして、他のキャラクターと対比的に描かれる。
    様々な思惑や性質を持った人々の中で彼の果たすキャラクター性は「哀しみ」や「服従」である。読者は彼の過去や言動に反映される、Ⅰで述べた性質からこのような作中の立場としてのキャラクター性を読み取る。アバッキオの行動の根底には後悔や諦めなどある種の無力さが存在しているが、時にこれが彼の強みとなることがある。行動の主体性を諦め、任務に対して従順である彼の固執や自棄的な態度が、危機的な状況における反骨的な態度や、ブチャラティへの忠義など、気高い忠誠心として表出する時、彼は「命令に従う人」であり「己を貫く人」として群像に突出する。このような彼の哀しみの中で一つの矜持を掲げる姿に、読者はドラマを見出す。
 
  主眼を読者に置いた場合の登場人物の評価は、主人公を通して見た場合は「物語にどう影響してくるか」、物語を通して見た場合は「どう生きているか」がキャラクターを構成する要素となる。上述したとおり、読者にとっては「厄介だがプライドを持った先輩」であり「流されない冷静さのある人物」、物語上では「有能さと無力さにより矜持を演出する人物」として存在する。
 
 
Ⅲ レオーネ・アバッキオの正義
 
 Ⅱで述べたとおり、この作品は群像劇である。また、あらゆる人物がすれ違う対立構造も特色の一つである。こういった対立しあう人々の中において、それぞれが抱く「正義」の在り方が、それぞれが向かう方向を決定づける。「正義」がそれぞれの性質を決定しており、これは作中ではしばしば「運命」として語られる。
 ここではアバッキオの「正義」について考察し、彼の人生を俯瞰する。
 
(1)「ジョジョの奇妙な冒険」における正義とは何か
 まず、ここで「正義」について定義しておく。
 当該シリーズにおける「正義」とは行動の原理である。多くの登場人物達は己の「正義」に関して譲ることのない力強い意志を有している。この「正義」を軸にしたぶれない行動が個性の強いキャラクターを生み出しており、作品を特徴づける一因となっている。究極生命体として君臨すること、富や名声より愛を重んずること、静かに暮らすこと、形は様々だが行動原理として存在している。
 第5部において顕著な「正義」は、ジョルノの夢を実現することと、ボスの永遠の絶頂を死守することである。この二つの「正義」の対立によって物語が構成されていくこととなり、衝突した結果が二人の「運命」を分かつこととなる。また、ボスの「正義」はブチャラティにとっては「邪悪」であり。この反駁がブチャラティの「運命」を決めた。
 「運命」のファクターという点においては、「正義」の重要性は対立構造の限りではない。プロシュートのギャングとしての覚悟という「正義」は弟分のペッシに影響しており、ペッシについてはプロシュートこそが「正義」であると言っても過言ではない。
プロシュートとペッシという協力関係においても、互いの「正義」の在り様が両者の「運命」をよく表している。
 以上のように、当該シリーズにおける「正義」は行動原理を示しており、その内容を知ることが人物の人生を理論として明確なものとする手掛かりとなる。
 
(2)アバッキオの正義とは何か
 それでは、アバッキオの行動原理とはなんであるか。これがここまで述べてきた中で繰り返し用いた「任務」「忠誠」「矜持」である。
 「任務」は性格形成の核となる性質を定めており、「忠誠」はその行動の結果として表出し、「矜持」が行動の在り方を決定している。
 以下にこれらの「正義」を示す箇所を挙げる。
 
 ①ズッケェロ戦
  「任務」・・・自分の能力で敵の謎を解き明かすこと。
  「忠誠」・・・上司であるブチャラティを庇う、または信頼して託す。
  「矜持」・・・危険を顧みないジョルノの行動に劣らぬ覚悟を示す。
 ②イルーゾォ戦
  「任務」・・・キーを入手する。
  「忠誠」・・・仲間の救出より「任務」を優先する。状況が変化しても「任務」を第一に対応する。
  「矜持」・・・腕を切り落としてでもキーを死守し、動ける者に託す。
 ③サンジョルジョマジョーレ島
  「任務」・・・裏切りに対する自分なりの決断を提示すること。
  「忠誠」・・・組織全体より直属の上司を優先する。
  「矜持」・・・あらゆる危険より「任務」と「忠誠」を貫く決断をする。
 ④サルディニア島
  「任務」・・・ボスの過去を解き明かすこと。
  「忠誠」・・・困難な状況でも「任務」を遂行する。
  「矜持」・・・自分にはたどり着けなかった答えのきっかけを遺し、託す。
 
  ①、②、④に現れた、残った者に真実のヒントを託すという彼なりの「矜持」の表し方は特徴的であり、彼の最期として印象的なシーンにも「真実を追い求める」という意志が語られ、残った者に託すことでこれを完遂して終わる。自身の功績や称賛を遺すことではなく、真実の究明をこそ真の「任務」として「忠誠」を示しなんとしても成し遂げさせるという「矜持」で応える、彼本来の強さが表れている。
  一方、①、②、③に現れる、ジョルノに対する意地のような姿勢も特徴的である。Ⅱで述べたような「警戒」の表れであり不器用な頑なさの結果であるが、変化に対する葛藤と回答がアバッキオの人生の選択を示している。
 
 
Ⅳ レオーネ・アバッキオの人生
 
 前述した、アバッキオの性質、キャラクター性、正義を通して、彼の人生を理論としてまとめる。
 
(1)ギャングになるまで
 原作によれば、アバッキオは「純粋な正義感」から警官を目指し、市民を守る立場として奮闘していた。この時点で彼の「正義」はある程度形成されており、市民を守ることを「任務」とし、身を粉にしてこれを全うすることが「忠誠」である。しかし汚職の風土に染まっていく中で「正義」が曲げられていく。こうした中で性質としての「固執」や「自棄」が無力感から生じることとなり、服従的なキャラクター性が表れ始める。
 同僚を死なせる結果以降、彼は「正義」の拠り所を求めてさまようこととなる。これは本来であれば自らの内に見出すべき自分の生きる理由となる「任務」を外部に求めはじめたことによる。自発的な正義感を失い、その後新たな指針としてすり替わった与えられる「任務」をも見失い、自身の行いを反芻するこの苦しみの時間の中で、Ⅰで示した「警戒」「固執」「自棄」の性質を強めていったと考えられる。
 よって、ギャングになる前のレオーネ・アバッキオの人生は、「正義」を問い直すものであったと考えることができる。
 
(2)ギャングになってから
 汚職事件後、落ちぶれてギャングになるが、Ⅲで述べたような行動の数々からは幾分持ち直したように見える。これは彼の行動に「矜持」が加わったことによるものと考えられる。
 ギャングになる以前は「任務」とそれに対する「忠誠」のみが彼の内側を占めており、どちらかが欠ける事態となれば一挙に落ちぶれる状態であった。しかし、「矜持」を得たことにより、前述した自らの内に見出す「任務」を得るようになり、
また、これを遂行する「忠誠」に磨きがかかることとなる。
 問題となるのは、この「矜持」をどこで手に入れたか、という点である。ここに本論の趣旨である「二次創作活動の芯となる理論」の定義づけが関係する。というのも、アバッキオの変化点をどこに置くかが、二次創作の方向性を定める一つの要因となるからである。
 Ⅰ-(2)で指摘した「性質の二面性」をもたらすものが「矜持」であるが、これを得たきっかけは大きく3つに分けることができる。
 
 ①ブチャラティとの出会い
   ブチャラティに見出されることで、なんらかの救いを与えられたと類推するものである。アニメオリジナルシーンに顕著であるが、ブチャラティの一種の人心掌握術とも言える。
   また、上司という存在を得て「任務」を与えられることへの安心感や、同年代の知人がいることで自身を客観視する視点を得たという、人間関係から内的世界への作用も背景にあると考えられる。
 ②ジョルノとの出会い
   ジョルノにはより強引に周囲を変化させる性質があり、ある意味では天敵とも言えるジョルノの存在がアバッキオの行動を変化させたと類推するものである。
   それまではブチャラティ、またはより大きな組織の意向に従うのみであったアバッキオが、自分自身の「矜持」で行動を選択しなければならないという、良い種類の苦境に立たされたことになる。主人公の登場により他登場人物が影響を受けて変化することは物語の展開として自然な表現である。
 ③ギャングの仕事
   警官でなくなったことで何者でもなくなっていたアバッキオが、ギャングという一つのアイデンティティを手に入れたことで腹を据えたと類推するものである。
   彼はおそらくいわゆる優等生であり、ギャングという現状は直視に堪えないほどの衰退ぶりであろうが、何者かになる、という大きな変化は、環境という外部の変化でありながらアイデンティティという内部の変化でもある。Ⅰ-(2)において「自棄」が「覚悟」へと変化した点を指摘したが、「自分はギャングになってしまった」という自覚に対して自暴自棄になりながらも、仕事をしていくうちに「ギャングとして生きていく」という覚悟を生じさせたと考えられる。
 
 (3)最期
  アバッキオの最期はボスの謎を自身の能力で解き明かそうと挑み、その最中にボス自らの手によって命を落とすが、ボスの正体を掴んだその一端を残った仲間に残す、というものであった。また、作中では死後の世界についても描写されており、同僚から「真実に向かおうとする意志」がアバッキオの心の中に戻っていると語り掛けられる。ここでアバッキオの人生の結論が言い渡される。
  彼の遺したものと同僚の発言から、彼の「正義」は初めと終わりで変わっていなかったことがわかる。ギャングになる前に問いただしていたのは「正義」を全うするための意志だったのである。そしてそれは初めから持っていた、「真実に向かおうとする意志」であり、これが彼の「矜持」の正体であった。ただ、ギャングとして生きるうちに首をもたげ、最期にその実を結んだにすぎない。「いつだって途中でだめになっちまう」とは彼自身の自己評価であるが、一つの意志を貫くことに関しては終始貫徹していた。身もふたもない言いかたをすれば、「矜持」を得たきっかけを描く必要などなく、そもそも持っていたことになる。
  
 
まとめ
 
 以上の事実と考察を総括すると、アバッキオの人生とは「正義」を掲げ、見失い、再び取り戻すものである。
 彼が「正義」を取り戻すことができたのは、過去に縛られることをやめ、目の前の真実に向かう「矜持」を思い出したためである。そのきっかけ、彼が今を生きる動機を描くことが二次創作の芯となる。
おわりに

 

 アニメがとうとう「今にも落ちて来そうな空の下で」になってしまったのでつらくて書いた、オタクの覚悟の文章だから大目に見て。