アニメ、5話だったか、パンナコッタ・フーゴが「観光目的ではなさそう」なボートの上で「気持ちいいですね」と嬉しそうな声を出していた。うれしい。
なんというか、とにかくフーゴに幸せになってほしい。
海はフーゴも気持ちいいんだな、よかったね。
次に乗る船は残念ながらどんな船だったかわからない。他のみんなはボートだった。
ボートに乗らなかったフーゴは裏切り者として後々主人公たちの前に姿を現す予定だったが、裏切るようなやつじゃないので彼の出番はそこで仕舞いになったらしいね。わかる。
「フーゴがボートに乗らなかったのは彼が頭でっかちで他のみんなほど心が強くなかったから」
という解釈は、まあ、よくわかる。そうだと思う。でも少し足りないかな。
俗にいう「乗るか、乗らないか」という場面が言葉のままに出現したあのシーンだったが、フーゴが乗ったのが「ブチャラティたちのボート」じゃなかったというだけだ。
彼は別の泥船に乗った。
フーゴは今まで誰かの人生を生きていた。最初は両親(原作だけではなんとも言えない部分はあるけど、子供が勉強を頑張る理由なんてだいたい親の肯定だと思っている)で、次はブチャラティだ。誰かのために生きることができて、その上聡明で有能で強力なスタンド能力もあって、フーゴくんはえらい。ついでにカワイイですね。
が、「ブチャラティたちのボート」に乗らなかったフーゴは自分で生きなければならなくなった。
ここからは私のフーゴ二次創作におけるマイルールみたいな話です。
フーゴほどの聡明な人間なら、飛び級して大学に入るほどの頭脳と努力は自分の人生を切り開くに値する実績だ。そうなるべく生きていた。
わかっていたのに、また、自分のために生きる道を自分で閉ざしてしまった。
そんな彼に必要だったのは一人になることだ。ボートのシーンで、彼は図らずも自分の人生を選び取った。取り急ぎひっつかんだ。
という前提があるので、本編後のフーゴにまつわる二次創作において、彼の罪滅ぼしのような行動はとらせないようにしている。
罪なんてないし。フーゴはもう頑張ったし。許してもらうような悪いことしてないし。
描きたいことがあるとしたら、なんだろなー、解放かな。
みんながガッカリするようなことをやってもいいし、辛いことがあれば甘えてもいい。
力の抜き方と抜きどころを判断できるのがおとなです。
裏切ったのではなく、みんなと逆の方向に一歩を踏み出した。滅ぼす罪なはい。これです!
弁護士になってジョルノたちと再会してもいいし、トリッシュのプロデューサーになって芸能界で生きてもいいし、ギャングとして再起してもいいし。
なんであれ、パンナコッタ・フーゴに幸せになってほしい。
海、行こっか。フーゴくんはカワイイから、助手席座っていいよ。
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ロバート (木曜日, 24 1月 2019 13:19)
パマさんがフーゴについての記事を書かれるということで、すっごく楽しみにしていました…。
そして、文章ひとつひとつに、とても頷きました。「……彼は図らずも人生を選び取った。……」という言葉には、悲しいけれど、ポジティブな意味があるなと感じました(解釈違いならすみません)。
これからも、更新を楽しみにしております。